Mr.C.B. ミスターシービー(2)
共同通信杯4歳ステークスを制覇した時の、ミスターシービー
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
Mr.C.B.「パカッ。」
Mr.C.B.「ヒヒヒヒヒヒ~ン!」
1983年(昭和58年) 牡・4歳になった、ミスターシービー。
1982年(昭和57年)4月・牡 3歳の時に、美浦トレーニングセンターの松山康久厩舎に入厩した、ミスターシービーは、15戦8勝の成績を残しながら、次世代の三冠馬・シンボリルドルフを倒せないまま、1985年に現役を引退するまで、競争生活を送った。
ミスターシービー(Mr.C.B.=千明牧場で生まれた男馬という意味。)には、2頭が存在し、ブライオリーパークとファーストストップとの間に生まれた、ミスターシービー(初代)は第6回・日本ダービーに出走した経緯があるが、この時はヒサトモの10着でレースを終えたこともあり、生産者の千明牧場は、スゲヌマで第7回・日本ダービーを制覇したとの事だったのである。
グッドルッキングホース・ミスターシービーの牡・4歳での競走馬生活が始まる。
Mr.C.B.「ヒヒヒヒヒヒ~ン、ブルルルルルルルルルルル!」
美浦トレーニングセンター・松山康久厩舎の、ミスターシービーの馬房。
Mr.C.B.「ムフ、ムフ、ムフ、ムフ、ムフ、ムフ。」
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
Mr.C.B.「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ」
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
Mr.C.B.「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」
ジョッキーでミスターシービーの主戦騎手を務めた、吉永正人(調教師として活躍中の2006年9月11日・胃がんがもとで死去している。)も、競走馬デビュー当時から、騎乗した1人でもある。
4歳緒戦の、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)に出走したミスターシービーは、ひいらぎ賞で1着となった、ウメノシンオー以下を抑えて1着となり、4歳緒戦のレースを終えたのである。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
美浦トレーニングセンターの松山康久厩舎の放牧場の柵で、ミスターシービーは制覇後の放牧休養に出されていました。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
Mr.C.B.「ブルルルルルルルル。」
Mr.C.B.「カポ、カポ、カポ、カポ。」
Mr.C.B.「ブルルルルルルルルルルル。」
Mr.C.B.「ブリ、ブリ、ブリ、ブリ、ブリ。」
Mr.C.B.「ウ~~~~~~~~~~!」
Mr.C.B.「ドッパア~!」
Mr.C.B.「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」
ミスターシービーは、大きく緑色のうんこ(💩)を落としてやりました。
ミスターシービーは緑色のうんち(💩)を落としてやる馬である。
Mr.C.B.「ヒヒ~ン!」
Mr.C.B.「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」
ミスターシービーは大きい鼻声でいなないてやる馬、これがミスターシービーである。
Mr.C.B.「ヒヒヒヒヒヒヒ~ン。」
(3へ。)
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